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やることなすこと上手くいかない。そんなヘタレの日常的妄想。全体的に身内向け。
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ゲーム、特にRPGにおいて、主人公は少なからず『作り手』を投影したものだろう。
だが、同時に主人公には『受け手』、『プレイヤー』側も投影される。
プレイヤーが自身を投影する隙もないほどに作り手が主人公に投影されていたら、
そこにプレイヤーが入り込む余地はない。

まず、世界と物語がある。
それらを知ろうと思ったら、プレイヤーはどこかに入り込もうとする。
大抵それは主人公で、入り込めれば世界と物語が見える。

けれど「作り手そのもの」の主人公は、プレイヤーが入り込むこと拒絶する。
プレイヤー側への共感、理解、全てを放棄する。
結果、他人が好き勝手やっているのを遠くから眺めるだけになる。

それでも物語を知ろうとするならば、
自分を振り落とそうとするものに必死にしがみつかなければならない。
…俺は、必死にしがみつかなければならないゲームを、楽しいとは思わない。
どれほど良く出来たシナリオでも、100m離れたところにある本は読めない。

「ロールプレイ」――“役割を演じる”ゲームなのだから、
主人公、あるいは類するものの役割を演じられなければ、楽しめない。
もちろん、他にゲームとしての魅力があれば別の話ではあるが。

人間は、他人を完全に理解することは出来ず、他人と合一化することは出来ない。
他人そのものである存在には入り込めない。

ゲームのキャラクターには、ある程度「隙」があるほうが良い。
「このキャラはこう考えているのだろうか」
「あのキャラはこう感じているのだろうか」
プレイヤーがそう考えられる「隙」。
プレイヤーにとって都合の良い「隙」。

プレイヤーの想像に任せる部分、とも言える。
作り手的に大きすぎてもいけないが、プレイヤー的になくても困る。

物語は、主人公と共に歩みたい。
少なくとも、俺は。



…とかいうことを、ダービージョッキー74話「キミのそばにゆく」を読みながら考えた。
この回、ここまで書いたようなこと言うてないんだけどなぁ。
川さんが言ってたのは
「自分の中に相手が生きていると感じ、相手の中に自分が生きていると感じる
 好きな相手に本当に近づくとはそういうことで、そこには言葉も理屈もいらない」
って話なんだけどなぁ。
ダービージョッキーはおっさんキャラがいい味出してて好き。
しかしやっぱり7巻いいな、ラフカットジュエルとケイの成長が。
成長するキャラではやっぱ真田だなー。
最終巻の「俺は今やっと押しも押されもしねぇ、ただのちっぽけな俺自身だ!」って啖呵大好き。

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