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物心ついたときには親父に蹴られ殴られが当たり前だったわけだ。
お袋が守ってくれるのかと思えばそれも違くて、
ご丁寧に親父の怒りに油を注いでくれやがる。
スゲェよ?自分のガキがビデオテープのカドでガンガン殴られて、
大の大人でも腰が引けそうな気迫と剣幕で怒鳴られてんのに何もしねぇんだ。
へらへらしながら見てんのな。本気で殺したかったよ。
まったく教育熱心な親に育てられたもんさ。
ここが悪い、あれが悪い、って言うだけで、どうすればいいかは絶対言わねぇの。
これが小学校入って、自分で考えることが出来るようになってきてからならまだいいわな。
幼稚園前後の人格形成期だぜ?親に教えてもらうことが全てだった頃さ。
嫌な出来事は数多いけど、一番印象に残ってることがある。
オレは小っちゃい頃から朝弱くて、よく寝坊してたんだよ。
通園バスにおいてかれて、まぁ遅刻だわな。
あの親ども、なんて言ったと思う?
「歩いていけ」だとよ。
大人の足でも3~40分くらいかかる道を、4歳そこらのガキに歩けってよ。
ふざけんなと思うわな。今にしてみれば。
けどオレに逆らうなんて選択肢は用意されてないわけだ。
なにせ逆らうこと=辛・苦・痛・悲だからな。
幸いバスから見て道は覚えてたから、歩いていったさ。泣きながらな。
涙と鼻水でボロボロになりながら、ひとりぽっちで国道沿いを歩いていく。
したら、後ろからなんか見覚えのある車がついてきてるんだよ。
親父の車さ。
いい話だと思うかい?まぁ聞くぶんにはそうだろうな。
オレはそんなこと思わなかったね。何せ当事者だから。
あん時ほど親を殺したくなったことはなかったよ。
なんで見てんのに乗せてってくれないんだ、ってそればっか考えてたね。
そこでオレは、悔しいのと辛いのでいっぱいの頭でこう思ったのさ。
「父さんも母さんもオレのことが嫌いなんだ。
だからあんなふうに後ろからオレが辛がってるの眺めてるんだ」
…ってな。
そう思わずにはいられないだろーが。
泣き続けるガキを蹴っ飛ばして外に放り出しといて、
自分たちは車の中からのうのうと見てやがるんだから。
でも、逆らったら何されるかわからんし。
でも、子供として親が好きでいたい気持ちもあるし。
何より親に愛されたいわけだ。こどもだもの。
こんな状況で、ガキが歪まずに成長できる訳がねぇ。
幼稚園に行ったって、トモダチがいるわけでもなかったからな。
ま、オレの二親の教育は劣悪だったし、その頃にはもう歪んできてたのかも知れねぇな。
周囲に何言っても『それは違う』『お前は変』の一言でぜーんぶ片付けられちゃうわけ。
気がついたらハブでした。あぼーん。
外になんか行かず活字の世界に埋没してたね。
家に帰ったらずーっとゲームしてたし。
なんてテンプレートな二次元がトモダチな幼少期!
しかも1学年1学級の世界だから、それが15になるまで続くわけだ。
救いのすの字もありゃしねぇ。
親に言えば『お前が悪い』の一点張りだよ。
誰がこんな風に教育したのかと小1時間ほど問い詰めたい。
幼稚園時代に、オレはすでにたくさんの漢字が読めた。
二桁ぐらいの計算も出来た。いろんなことを覚えた。
そうすれば親が褒めてくれたのさ。
親が喜んでくれるから、親に愛されたくて優秀になったのに、
それが同年代のガキどもには奇異極まりなく映るわけ。
『何でこんなことが出来るんだ、おかしい』ってな。
小学校に入って、ガキどもは人を利用することを覚えた。
オレは『国語辞書兼計算機』みたいな扱いさ。
普段は一切話しかけられもしないのに、いざ困ったときにだけ、
『これ読んで』『これ教えて』って言われるんだよ。
イヤだったさ。当然だろ?
自分より明らかに劣る連中に、いいように使われるなんてよ。
こう考えていたときには、もうNPDの片鱗見えてたんだな。
この頃よく見た夢が、町が壊滅してる夢。
自分は、なんかよく分かんないけど飛んでて、町を見下ろしてる。
自分ちも小学校も朽ち果ててて、人っ子ひとりいなくて。
黄色い風が吹いて、茶色い砂が巻き上がっていくだけ。
…多分コレが、その頃の原光景(原風景)なんだと思う。
そういえば、高2の冬休みに肺炎になったとき、
大晦日に親戚の家族がウチに来てて、親父とその妹さん(オレの叔母さん)が大喧嘩してたな。
そのネタが「オレを病院に連れていかない件」でさ。
当時、オレは連日39度とかの熱を出してたわけ。咳もひどくて寝れなくてさ。
んで、それを知った叔母さんが「何で病院に連れて行かないんだ」って言ったわけ。
そしたら親父が「こいつ(オレ)が病院に連れて行けって言わないから」って返したんだよ。
その後は喧々囂々の怒声の嵐。オレは怖くて口出しなんか出来ねぇの。
最後は叔母さんがウチを飛び出してばあちゃんちに言っちゃってな。
したら親父が「どっちが正しいと思った?」って言うんだよ。
オレはいつ怒鳴られるかと思って震えながら「叔母さん」って言ったんだ。
次には「じゃあ何で叔母さんの擁護をしなかったんだ」って叱るわけ。
こっちにしてみれば寝耳に水だ。あんな状態で口出ししたって聞く気なかったろうに。
その上自分たちが勝手に人のことで喧嘩して、たまたまそこにいただけのオレを責めるって何だよ。
ウチの親父は酒が入ると何やかんやと文句をつけては絡んでくるからイヤだ。
そんなこと絶対口に出せないから、熱に浮かされた頭でぼろぼろ泣きながら謝ったけどさ。
オレが風邪引くたび39度とか出すのは日常茶飯事だから、もう親も気にしないんだよな。
実際、オレ自身も風邪だと思ってたんだよ。ずっと。
それに病院連れてってくれって言って親に手間かけさせるの嫌だったんだよ。
健康優良児で、金も手間もかけさせなければ、嫌われる可能性減るからな。
結局その深夜に40度超の熱出して瀕死状態で除夜の鐘を聞く羽目になって、
流石にコレはまずいってんで2日に病院行ったら肺炎って言われて即入院。
レントゲンで撮った肺が真っ白だった。10日間入院して、自分の誕生日に退院した。
その間、近くに喘息のオバサンが入ってきて夜中その人のいびきが煩くて寝れなかったり、
無駄に暇なせいで自分を見つめ直す時間が出来てしまう羽目になったせいか、
自分が嫌になって、当時友人だと思っていたはずの存在と関係を絶つことを決めたりした。
退院後もしばらくは体力が戻らず、演劇の合同公演の練習にも出ることが出来なかった。
後で叔母に聞いた話だが、親父はあの時オレに「親に反論する」ことをして欲しかったらしい。
我がままにも程がある、と思った。
自分たちに逆らえないようにオレたちを教育したのはいったい誰だ。
あまつさえ、それを肺炎で苦しんでいるガキに求めるのは間違ってんだろ。
自分を愛さず、こうなるように仕向けたはずの親には否定され、
同年代のガキどもには道具と同程度の扱いをされ、
まぁそんなわけで、オレはオレを嫌うしか道が残されてなかったわけだ。
そして、親に愛されることを知らないこのこころは、幼いときのまま止まっている。
ただ、親に愛されたいと、甘えたいと願っている。
他人に、というのは、ただの派生部分・代替部分に過ぎない。
こころはそこで止まっていても、理性部分と肉体は成長する。確実に。
誰かに甘えることが許されなくなっていく。
こころの姿は、親の代わりに誰かに甘える幼稚園児なのに、
他人に見えるのは、ただ甘え我がままを言う学生という現実の姿。
何も知らない人に、甘えるな、と叱咤されるのが関の山の。
そんな精神の歪みが具現化したのがBPD。
親は自分を嫌い→親にすら愛されないオレをみんな嫌い→自分は愛される価値の無い人間。
見事な三段論法。
みんなオレを必要としないのなら、望み通り必要とされなくなってやるって投げやりになったり、
それでも誰かと一緒にいたいって依存したり、憤りが暴走してキレたり、
見捨てられたり裏切られたりする場面に直面しそうになると、そうなる前に自ら身を引いたり、
自分のすべてをありのままに受け入れてくれる世界を夢見たりね。
まぁ分かりやすく言えば、
「サイト閉鎖」「サイト復活」「プッツン」「絶交」「二次元逃避」
ってことですわな。
それに「絶交」は、相手を試してるみたいなトコあるから。
自分はどれだけ必要とされているんだってのが知りたいんだよね。
もちろん、その精神状態になってるときはそんなこと気づきもしないんだけどさ。
で、もう関係を絶つ、って言って、ああそういいよじゃあねって言われるの嫌なわけ。
だって必要とされてないって思い知らされるから。
でも、そこでそれはできない、トモダチでいて、って言われても苦しいんだよ。
いつ裏切られるか分からない状況に置かれてしまうから。
根本的に自分は価値の無い存在だと思ってるから、トモダチって言葉も信じられないのさ。
どっちにしても待っているのは絶望なんだよね。
自分をとにかく貶めなくちゃ気がすまない。
同時進行で誰かを責めなくちゃ気がすまない。
でも誰かを責める権利が自分にはないと分かっている。
見事なジレンマ。
…つーか、上の弟は生徒会長で剣道市内代表、
下の弟は少林寺拳法の道大会で一回戦突破、
両方成績はそんなに良くなくても、毎週休みになれば友達を連れてきて騒いでる。
かく言うオレは演劇高文連で南空知突破もしていないし、
高校まで同級に話し相手もいないで、成績は極めて劣悪、
ただでさえキレやすくて壁蹴っ飛ばして穴開けたりするのに、
高校2年の秋冬から精神は非常に不安定。
体調崩しまくりで登校拒否になりかけた挙句の果てに心療内科通い。
これで親に引け目感じたり弟どもにコンプレックス感じるなって方が無理だと思うんだけど。
けどさ、こうやって自分を卑下してたら、自分に生きる価値を見出せなくなってしまうんだよ。
だから、そこでNPDが発現する。
必死で自分を肯定しようとする。生きるために。
自分は優秀なんだって。選ばれたんだって。
そうじゃなきゃ、バランスが保てないから。
でも、頭では自分はそんなに立派じゃないって分かってる。
BPDとNPDは本来相容れないものだから。
自分を卑下し続ける理性。自分を認めさせようとする精神。
頭では、自分が認められるに値しないと思ってる。死にたいと思う。
心では、自分を卑下する必要なんかないと思ってる。生きたいと思う。
二律背反ってやつ?カオス極まりない。
だから狂ってるんだけど。
馬鹿みたいに誰かに甘えられればいいんだけどねぇ。
トドメ刺すように喧嘩売られたし、プライドの高さは伊達じゃないし。
一生付き合っていかにゃあなるまいよ。
死ぬまで本気で誰も信じられないんだろうなw
高校のときの原光景は、真夜中に月が出てて、月の回りにリングがあって、
自分は一面に広がる水の上に立ってて、月から金色の砂みたいな光が降ってくる。
その光に触ったところからしゅるしゅる溶けて、でも全然怖くない。
そんな感じだったな。何だったんだろう、アレ…。
キレイなもの――友情とか希望、そういうのへの憧れかもしれない。
今の原光景はまだ良く分からない。ぼんやりしてる。
もうすぐハッキリする予感はするけど。
きっと綺麗な絶望に彩られていることだろう。
お袋が守ってくれるのかと思えばそれも違くて、
ご丁寧に親父の怒りに油を注いでくれやがる。
スゲェよ?自分のガキがビデオテープのカドでガンガン殴られて、
大の大人でも腰が引けそうな気迫と剣幕で怒鳴られてんのに何もしねぇんだ。
へらへらしながら見てんのな。本気で殺したかったよ。
まったく教育熱心な親に育てられたもんさ。
ここが悪い、あれが悪い、って言うだけで、どうすればいいかは絶対言わねぇの。
これが小学校入って、自分で考えることが出来るようになってきてからならまだいいわな。
幼稚園前後の人格形成期だぜ?親に教えてもらうことが全てだった頃さ。
嫌な出来事は数多いけど、一番印象に残ってることがある。
オレは小っちゃい頃から朝弱くて、よく寝坊してたんだよ。
通園バスにおいてかれて、まぁ遅刻だわな。
あの親ども、なんて言ったと思う?
「歩いていけ」だとよ。
大人の足でも3~40分くらいかかる道を、4歳そこらのガキに歩けってよ。
ふざけんなと思うわな。今にしてみれば。
けどオレに逆らうなんて選択肢は用意されてないわけだ。
なにせ逆らうこと=辛・苦・痛・悲だからな。
幸いバスから見て道は覚えてたから、歩いていったさ。泣きながらな。
涙と鼻水でボロボロになりながら、ひとりぽっちで国道沿いを歩いていく。
したら、後ろからなんか見覚えのある車がついてきてるんだよ。
親父の車さ。
いい話だと思うかい?まぁ聞くぶんにはそうだろうな。
オレはそんなこと思わなかったね。何せ当事者だから。
あん時ほど親を殺したくなったことはなかったよ。
なんで見てんのに乗せてってくれないんだ、ってそればっか考えてたね。
そこでオレは、悔しいのと辛いのでいっぱいの頭でこう思ったのさ。
「父さんも母さんもオレのことが嫌いなんだ。
だからあんなふうに後ろからオレが辛がってるの眺めてるんだ」
…ってな。
そう思わずにはいられないだろーが。
泣き続けるガキを蹴っ飛ばして外に放り出しといて、
自分たちは車の中からのうのうと見てやがるんだから。
でも、逆らったら何されるかわからんし。
でも、子供として親が好きでいたい気持ちもあるし。
何より親に愛されたいわけだ。こどもだもの。
こんな状況で、ガキが歪まずに成長できる訳がねぇ。
幼稚園に行ったって、トモダチがいるわけでもなかったからな。
ま、オレの二親の教育は劣悪だったし、その頃にはもう歪んできてたのかも知れねぇな。
周囲に何言っても『それは違う』『お前は変』の一言でぜーんぶ片付けられちゃうわけ。
気がついたらハブでした。あぼーん。
外になんか行かず活字の世界に埋没してたね。
家に帰ったらずーっとゲームしてたし。
なんてテンプレートな二次元がトモダチな幼少期!
しかも1学年1学級の世界だから、それが15になるまで続くわけだ。
救いのすの字もありゃしねぇ。
親に言えば『お前が悪い』の一点張りだよ。
誰がこんな風に教育したのかと小1時間ほど問い詰めたい。
幼稚園時代に、オレはすでにたくさんの漢字が読めた。
二桁ぐらいの計算も出来た。いろんなことを覚えた。
そうすれば親が褒めてくれたのさ。
親が喜んでくれるから、親に愛されたくて優秀になったのに、
それが同年代のガキどもには奇異極まりなく映るわけ。
『何でこんなことが出来るんだ、おかしい』ってな。
小学校に入って、ガキどもは人を利用することを覚えた。
オレは『国語辞書兼計算機』みたいな扱いさ。
普段は一切話しかけられもしないのに、いざ困ったときにだけ、
『これ読んで』『これ教えて』って言われるんだよ。
イヤだったさ。当然だろ?
自分より明らかに劣る連中に、いいように使われるなんてよ。
こう考えていたときには、もうNPDの片鱗見えてたんだな。
この頃よく見た夢が、町が壊滅してる夢。
自分は、なんかよく分かんないけど飛んでて、町を見下ろしてる。
自分ちも小学校も朽ち果ててて、人っ子ひとりいなくて。
黄色い風が吹いて、茶色い砂が巻き上がっていくだけ。
…多分コレが、その頃の原光景(原風景)なんだと思う。
そういえば、高2の冬休みに肺炎になったとき、
大晦日に親戚の家族がウチに来てて、親父とその妹さん(オレの叔母さん)が大喧嘩してたな。
そのネタが「オレを病院に連れていかない件」でさ。
当時、オレは連日39度とかの熱を出してたわけ。咳もひどくて寝れなくてさ。
んで、それを知った叔母さんが「何で病院に連れて行かないんだ」って言ったわけ。
そしたら親父が「こいつ(オレ)が病院に連れて行けって言わないから」って返したんだよ。
その後は喧々囂々の怒声の嵐。オレは怖くて口出しなんか出来ねぇの。
最後は叔母さんがウチを飛び出してばあちゃんちに言っちゃってな。
したら親父が「どっちが正しいと思った?」って言うんだよ。
オレはいつ怒鳴られるかと思って震えながら「叔母さん」って言ったんだ。
次には「じゃあ何で叔母さんの擁護をしなかったんだ」って叱るわけ。
こっちにしてみれば寝耳に水だ。あんな状態で口出ししたって聞く気なかったろうに。
その上自分たちが勝手に人のことで喧嘩して、たまたまそこにいただけのオレを責めるって何だよ。
ウチの親父は酒が入ると何やかんやと文句をつけては絡んでくるからイヤだ。
そんなこと絶対口に出せないから、熱に浮かされた頭でぼろぼろ泣きながら謝ったけどさ。
オレが風邪引くたび39度とか出すのは日常茶飯事だから、もう親も気にしないんだよな。
実際、オレ自身も風邪だと思ってたんだよ。ずっと。
それに病院連れてってくれって言って親に手間かけさせるの嫌だったんだよ。
健康優良児で、金も手間もかけさせなければ、嫌われる可能性減るからな。
結局その深夜に40度超の熱出して瀕死状態で除夜の鐘を聞く羽目になって、
流石にコレはまずいってんで2日に病院行ったら肺炎って言われて即入院。
レントゲンで撮った肺が真っ白だった。10日間入院して、自分の誕生日に退院した。
その間、近くに喘息のオバサンが入ってきて夜中その人のいびきが煩くて寝れなかったり、
無駄に暇なせいで自分を見つめ直す時間が出来てしまう羽目になったせいか、
自分が嫌になって、当時友人だと思っていたはずの存在と関係を絶つことを決めたりした。
退院後もしばらくは体力が戻らず、演劇の合同公演の練習にも出ることが出来なかった。
後で叔母に聞いた話だが、親父はあの時オレに「親に反論する」ことをして欲しかったらしい。
我がままにも程がある、と思った。
自分たちに逆らえないようにオレたちを教育したのはいったい誰だ。
あまつさえ、それを肺炎で苦しんでいるガキに求めるのは間違ってんだろ。
自分を愛さず、こうなるように仕向けたはずの親には否定され、
同年代のガキどもには道具と同程度の扱いをされ、
まぁそんなわけで、オレはオレを嫌うしか道が残されてなかったわけだ。
そして、親に愛されることを知らないこのこころは、幼いときのまま止まっている。
ただ、親に愛されたいと、甘えたいと願っている。
他人に、というのは、ただの派生部分・代替部分に過ぎない。
こころはそこで止まっていても、理性部分と肉体は成長する。確実に。
誰かに甘えることが許されなくなっていく。
こころの姿は、親の代わりに誰かに甘える幼稚園児なのに、
他人に見えるのは、ただ甘え我がままを言う学生という現実の姿。
何も知らない人に、甘えるな、と叱咤されるのが関の山の。
そんな精神の歪みが具現化したのがBPD。
親は自分を嫌い→親にすら愛されないオレをみんな嫌い→自分は愛される価値の無い人間。
見事な三段論法。
みんなオレを必要としないのなら、望み通り必要とされなくなってやるって投げやりになったり、
それでも誰かと一緒にいたいって依存したり、憤りが暴走してキレたり、
見捨てられたり裏切られたりする場面に直面しそうになると、そうなる前に自ら身を引いたり、
自分のすべてをありのままに受け入れてくれる世界を夢見たりね。
まぁ分かりやすく言えば、
「サイト閉鎖」「サイト復活」「プッツン」「絶交」「二次元逃避」
ってことですわな。
それに「絶交」は、相手を試してるみたいなトコあるから。
自分はどれだけ必要とされているんだってのが知りたいんだよね。
もちろん、その精神状態になってるときはそんなこと気づきもしないんだけどさ。
で、もう関係を絶つ、って言って、ああそういいよじゃあねって言われるの嫌なわけ。
だって必要とされてないって思い知らされるから。
でも、そこでそれはできない、トモダチでいて、って言われても苦しいんだよ。
いつ裏切られるか分からない状況に置かれてしまうから。
根本的に自分は価値の無い存在だと思ってるから、トモダチって言葉も信じられないのさ。
どっちにしても待っているのは絶望なんだよね。
自分をとにかく貶めなくちゃ気がすまない。
同時進行で誰かを責めなくちゃ気がすまない。
でも誰かを責める権利が自分にはないと分かっている。
見事なジレンマ。
…つーか、上の弟は生徒会長で剣道市内代表、
下の弟は少林寺拳法の道大会で一回戦突破、
両方成績はそんなに良くなくても、毎週休みになれば友達を連れてきて騒いでる。
かく言うオレは演劇高文連で南空知突破もしていないし、
高校まで同級に話し相手もいないで、成績は極めて劣悪、
ただでさえキレやすくて壁蹴っ飛ばして穴開けたりするのに、
高校2年の秋冬から精神は非常に不安定。
体調崩しまくりで登校拒否になりかけた挙句の果てに心療内科通い。
これで親に引け目感じたり弟どもにコンプレックス感じるなって方が無理だと思うんだけど。
けどさ、こうやって自分を卑下してたら、自分に生きる価値を見出せなくなってしまうんだよ。
だから、そこでNPDが発現する。
必死で自分を肯定しようとする。生きるために。
自分は優秀なんだって。選ばれたんだって。
そうじゃなきゃ、バランスが保てないから。
でも、頭では自分はそんなに立派じゃないって分かってる。
BPDとNPDは本来相容れないものだから。
自分を卑下し続ける理性。自分を認めさせようとする精神。
頭では、自分が認められるに値しないと思ってる。死にたいと思う。
心では、自分を卑下する必要なんかないと思ってる。生きたいと思う。
二律背反ってやつ?カオス極まりない。
だから狂ってるんだけど。
馬鹿みたいに誰かに甘えられればいいんだけどねぇ。
トドメ刺すように喧嘩売られたし、プライドの高さは伊達じゃないし。
一生付き合っていかにゃあなるまいよ。
死ぬまで本気で誰も信じられないんだろうなw
高校のときの原光景は、真夜中に月が出てて、月の回りにリングがあって、
自分は一面に広がる水の上に立ってて、月から金色の砂みたいな光が降ってくる。
その光に触ったところからしゅるしゅる溶けて、でも全然怖くない。
そんな感じだったな。何だったんだろう、アレ…。
キレイなもの――友情とか希望、そういうのへの憧れかもしれない。
今の原光景はまだ良く分からない。ぼんやりしてる。
もうすぐハッキリする予感はするけど。
きっと綺麗な絶望に彩られていることだろう。
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